| 承徳水泉溝万人坑 河北省(旧熱河省)承徳市. 日本は、1933年3月に熱河省の省都・承徳を占領し、「満州国」第五軍司令部や日本軍憲兵隊を配備する。そして、12年の占領期間中に中国人軍民3万6000人を殺害し、主要な万人坑数カ所が残された。虐殺が行なわれた現場であり、常時2000人が拘禁された承徳監獄などで死亡した犠牲者も運び込まれた承徳市郊外の水泉溝はその中で最大の万人坑である。 1945年の抗日戦争勝利のあと、水泉溝に捨てられた犠牲者の遺骨を承徳の人たちが5日間かけて収集し、集められた7000体を3カ所に分けて埋葬した。現在、水泉溝の虐殺現場にある追悼施設には、文字(墓碑銘)の無い記念碑(追悼碑)が設置されている。 写真:2013年9月25日撮影 . |
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![]() 水泉溝万人坑追悼碑(記念碑)遠景 承徳市街の外れから山に入り10分ほど山道を登ると、舗装された登山道の脇に水泉溝万人坑追悼碑(記念碑)が見えてくる。 |
![]() 水泉溝万人坑追悼碑 抗日戦争勝利の後に収集された7000体の遺骨が埋葬された現地に建立された犠牲者追悼碑。この追悼碑には文字(墓碑銘)が刻まれていない。 |
![]() 犠牲者追悼式 水泉溝万人坑にある文字(墓碑銘)のない記念碑の前で、「万人坑を知る旅」訪中団が犠牲者追悼式を行なう。 | ![]() 曽賢良さん 曽賢良さん(右、78歳)は1966年に承徳に移り住んだ。その当時から30年ぐらい前までは水泉溝のあちこちに遺骨が散在していて、曽さんらが収集しこの辺りに埋葬した。 |
![]() 「七千顱骨塚」墓碑 抗日戦争勝利の後に五日間かけて収集された7000体の遺骨を埋葬した地区。「七千顱骨塚」(7000個の頭蓋骨の墓)と刻まれた新しい墓碑が設置されている。 | ![]() 水泉溝万人坑の墓碑 水泉溝には、たくさんの墓碑や追悼碑がそこここに点在している。 |
![]() 承徳の市街地 水泉溝万人坑のある山から承徳の市街地を見下ろす。30年前は、この山の近くに民家はほとんど無かった。 | ![]() 小ポタラ宮 承徳は有名な避暑地で、清朝の皇帝が夏季に政務を執る避暑山荘(宮廷)が造営された。その避暑山荘の北側に、ラサ(チベット)にある大ポタラ宮と対をなす小ポタラ宮が造営されている。 |
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