三 灶 島 万 人 墳

 三灶島(さんそうとう)万人墳
  - 三灶島侵華日軍罪行遺跡
広東省珠海市  

 三灶島(さんそうとう)侵華日軍罪行遺跡は広東省珠海市金湾区三灶鎮にあり、万人墳・千人墳・日本軍慰安所・日本文字磨崖石刻(彫刻)・日本軍堡塁・日本軍弾薬庫・日本軍飛行場・興亜国民学校遺跡などが含まれる。その三灶島罪行遺跡は1983年に広東省文物保護単位に既に指定されていたが、2013年3月に全国重点文物保護単位に認定された。さらに2015年には、第二期国家級抗戦記念施設・遺跡として登録され公布されている(広東省では僅か3カ所しか登録されていない)。
 それで、七七事変(盧溝橋事件=1937年)を口実に中国に対する全面侵略を開始した日本は、三灶島を、華南侵略を主導する軍事基地とするため、1938年旧暦2月16日に6000人余の日本軍を三灶島蓮塘湾に上陸させる。そして、藤田中将を司令官とする日本軍は、海・陸・空の三軍で構成する司令部を設立し、三灶島の南部で飛行場の建設を始めた。その過程で日本軍は、軍事上の必要性から血生臭い大虐殺を三灶島で強行することになる。
 まず、旧暦3月12日に日本軍は魚弄村を襲撃し、村民386人を殺害する。その翌日の3月13日に、上表や鄧家湾など36の村の3264間の部屋と164艘の漁船を焼き払う。そして、男性は棍棒で打ち殺し、女性は先に強姦したあと殺害し、水中で溺れさせたり空中に放り上げ下から銃剣で突き刺すなどして幼い子までも殺害するなど、人間性を完全に喪失した「三光政策」を三灶島全域で強行する。さらに3月14日に、それまでに捕まえていた老若男女2000余人を、草堂の丘陵や蓮塘湾の砂浜や春園の祠(ほこら)や石湾の関帝廟の前や魚林先鋒坑や青湾などそれぞれの地で集団虐殺した。
 この僅か三日間のうちに、三灶島の北部の村々は無惨に焼かれて焦土と化し、野原一面に死体が横たわることになった。この世のものとは思えない凄惨な情景は、三灶島3・13惨案として末代まで語り継がれることになる。
 3・13惨案のあとも三灶島に駐留を続けた日本軍は、三灶島を占領下に置いた8年間に住民2891人を殺害し、3500人以上を餓死させた。それと同時に、朝鮮や台湾や万山や横琴などの地から三灶島に連行し、中国本土爆撃用の第14航空隊専用秘密飛行場(第6航空基地=現在の珠海金湾空港)建設に従事させた3000名以上の民間人労工を秘密裏に殺害している。
 日本が投降したあと、島外に避難していた人々が次々に三灶島に戻り、犠牲になった同胞の遺骨を収集し茅田村などに埋葬する。そして、三灶島の子孫に、民族のこの災禍を末代まで忘れないようにさせるため、1948年に茅田村に千人墳と万人墳をそれぞれ建立(開設)した。その建立を実現させるため、政府の強力な支持と広範な民衆の尽力の下で、香港やマカオの同胞と海外の華僑同胞が次々に寄付を寄せている。
 その後、1979年に遺骨は三灶鎮竹瀝山に埋葬し直され、新たな三灶島万人墳として開設される。そして、「三灶島三・一三死難同胞記念碑」という金色の文字が浮彫で刻まれる巨大な記念碑が1979年旧暦3月13日に新たに建立された。万人墳では、毎年旧暦3月13日に大規模な墓前祭が営なまれる。
 また、万人墳から300メートルほど離れたところに位置する魚弄村の西部に千人墳が設営されていて、日本軍に殺害された魚弄村の村民が埋葬された地に「三灶抗敵殉難人民之墓」と刻まれる記念碑が建立されている。
 広東省愛国主義教育基地に指定されている三灶島侵華日軍罪行遺跡は、三灶島の悲痛の歴史を人々に記憶させ、さらに、国の富強のために奮起し中華民族の復興を成し遂げるための貢献の必要性を人々に訴えている。

現地訪問・写真撮影:2024年10月13日   

 三灶島万人墳の入口
 犠牲者の遺骨が1979年に三灶鎮竹瀝山に埋葬し直され、新たに三灶島万人墳として開設された。ここは、その入口になる。

 三灶島万人墳遺跡銘板
 三灶島万人墳の入口に設置されている銘板に、中国国務院により2013年3月3日に全国重点文物保護単位として公布されたことが記されている。

 三灶島万人墳の入口に構築された門柱
 日本の神社にある鳥居のような形状の門柱の先に竹瀝山の森が広がる。その樹林の中に記念碑が建立されているのを確認できる。

 三灶島万人墳の庭園
 記念碑に至る「参道」の途中に、かなり広い庭園が開設されている。その奥にある一段高いところに記念碑が建立されている。

 三灶島三・一三死難同胞記念碑
 庭園の奥にある最後の石段を登った先に三灶島三・一三死難同胞記念碑がある。

 三灶島三・一三死難同胞記念碑
 金色の文字が浮彫で刻まれる巨大な記念碑は、1979年の旧暦3月13日に建立された。

 犠牲者追悼式
 記念碑に花を供え黙祷し、三灶島の犠牲者を追悼する。三灶島では日本の侵略により1万人以上が犠牲になった。

 犠牲者追悼式
 犠牲者追悼式を終えたあと、記念碑の周辺を確認しているところ。犠牲者の中に、日本軍飛行場の建設による強制労働で犠牲になった3000人以上の労工も含まれている。

 記念碑の裏側から
 記念碑の背後になる樹林の中に、大きな棺(ひつぎ)を想わせるような施設が構築されている。

 三灶島万人墳の庭園
 記念碑の側から三灶島万人墳の庭園を見下ろす。庭園の先に入口の門柱が見える。




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