旅 順 日 露 監 獄

 旅順日露監獄
遼寧省大連市旅順口区  

 中国海軍の基地がある旅順は、軍事機密地域としてかつては未開放地区にされていた。そのため、二〇三高地など一部の例外地域を除き外国人は近づくこともできなかった。しかし、十数年前に旅順は外国人に開放されるようになった。その結果、朝鮮の英雄である安重根義士が収監され処刑された監獄として広く知られている旅順日露監獄も、現在は外国人も(日本人も含む)自由に入場し観覧することができる。
 その旅順日露監獄は、1902年に帝政ロシアが建設した監獄を日本が接収して拡張し、1907年に新たに完成させた施設だ。そして現在は旅順日露監獄旧址として公開されているが、ロシアが建設した白壁の建物や、日本が建設した赤壁の建物や、監房棟から少し離れたところにある処刑場などの施設も含め、当時のままの姿で保存されている。また、処刑された収監者の遺体を埋めた埋葬地(万人坑)の様子が、旧址構内にある建屋の中に復元されている。
 それで、日本が旅順日露監獄を支配していた当時、処刑や虐待やその他の各種の要因により多数の収監者が監獄内で死亡している。その人数は、抗日志士やその他の罪のない人々だけでも4000人余に達し、監獄の近くにある山の麓に遺体が埋められた。そのため、旅順日露監獄の内部だけで「万人坑」形成の過程が完結していたと言うことができる(注)。

(注)李秉剛著・青木茂訳『こんな日本人がいる-中国侵略の歴史と向き合う旅の記録』花伝社、2025年、182ページ

現地訪問・写真撮影 2017年8月31日と2025年6月21日  

 旅順日露監獄の事務管理棟
 旅順日露監獄の正面に建設されている事務管理棟。ここが監獄への入口になり、この背後に広大な監獄施設が構築されている。

 旅順日露監獄の模型
 旧址施設内にある展示場に置かれている旅順日露監獄の模型。手前側の右端にあるのが、監獄の正面入口になる事務管理棟。事務管理棟の左側にあるY字形の建物は監房棟。

 旅順日露監獄の監房棟
 日本が建設した三階建ての赤壁の建物に、受刑者・被疑者・被告人らを収容する監房がずらりと並ぶ。それぞれの監房は、窓の鉄格子で外部と遮断されている。

 旅順日露監獄の監房棟
 左側の半分は、帝政ロシアが1902年に建設した二階建ての白壁の監房棟。その右側に、日本が1907年に建設した二階建ての赤壁の監房棟が接続されている。

 監房棟内に配置されている廊下
 監房棟内にある廊下の両側に、受刑者らを収容する監房がずらりと並んでいる。昼間は天井から陽光が入り、監房棟の昼の廊下は意外なほどに明るい。

 監房
 頑丈な針金で作られた「金網」越しに監房を覗く。この部屋の床は板張りだ。それで、収監者は草鞋(わらじ)を履いていたのだろうか。円筒形のものは便器だと思われる。

 安重根義士が収監された監房
 Y字形に建てられている監房棟とは別の建屋内にある、安重根義士が収監されていた監房。その壁面に、安重根義士を紹介する掲示板が設置されていて、案内の人が詳しく説明してくれる。

 安重根義士が収監されていた監房
 安重根義士が収監されていたこの監房は、一般の監房と比べるとかなり広いようだ。その当時、安重根義士は特別な扱いだったのだろう。そして、1910年3月26日に処刑された。

 虐待や拷問の部屋
 手枷や足枷が並ぶ部屋に、「容疑者」を寝かせて縛り付けたのだろうと思われる、手足を拡げた人の形をしている黒色の台が設置されている。

 絞首刑場の建屋
 半地下式の地下室があるこの建屋の中に絞首刑場が設置されている。大勢の「容疑者」とともに、安重根義士もここで処刑されたのかもしれない。
 絞首刑場(1階)
 首に縄をかけられた「容疑者」の足下の床が外され、死刑が執行される。「容疑者」は、首にかけられた縄でここで宙吊りにされる。

 絞首刑場(地下)
 宙吊りにされた「容疑者」の真下になる地下室に、遺体を入れる円筒状の「棺桶」が置かれている。手前に見えるのは、1階の絞首刑場から地下に降りる階段。

 遺体の搬送(模型)
 絞首刑を執行された「容疑者」の遺体が入れられた「棺桶」を、近くの山の麓にある埋葬地まで運ばされているのは、監獄の収容者たちなのだろう。

 遺体の埋葬(模型)
 武器を持っている監督者の指示に従い、「容疑者」の遺体が入れられた「棺桶」を、(おそらく)監獄の収容者たちが埋葬する。

 遺体の埋葬場(旅順監獄墓地の復元模型)
 「容疑者」の遺体が入れられた「棺桶」がずらりと並ぶ埋葬場の復元模型。実際の埋葬場は、監獄の近くにある山の麓に設けられた。

 遺体の埋葬場(旅順監獄墓地の復元模型)
 「容疑者」の遺体が入れられた「棺桶」がずらりと並ぶ埋葬場の復元模型。1910年3月26日に処刑された安重根義士の遺骨はまだ発見されていないようだ。

 遺体の埋葬場(旅順監獄墓地の復元模型)
 遺体の埋葬場(万人坑)の復元模型は、旅順日露監獄旧址内にある建屋の中に設置されている。その復元模型を正面から見ている。

 旅順監獄墓地の遠景(展示写真)
 旅順日露監獄の犠牲者は4000人余に達し、監獄の近くにあるこの山の麓に遺体が埋められ、旅順監獄墓地(万人坑)が形成された。

 旅順監獄墓地(展示写真)
 旅順監獄墓地(万人坑)にある溝に、「容疑者」の遺体が入れられた幾つもの「棺桶」がくっつき合ってずらりと並んでいる。

 旅順監獄墓地発掘現場(展示写真)
 1971年6月に発掘・調査された際の旅順監獄墓地(万人坑)の一角。わずか5メートルのこの一角から6個の「棺桶」が掘り出された。




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