北 票 炭 鉱 万 人 坑 (3)

 北票炭鉱万人坑(3) 
    ⇒(参考)北票炭鉱万人坑(1)…2009年の訪問記録
    ⇒(参考)北票炭鉱万人坑(2)…2017年の訪問記録
遼寧省北票市  

 1933年から1945年まで12年間にわたり北票を占領支配した日本は、この間に北票炭鉱で石炭842万トンを略奪し、強制労働させた中国人労工のうち3万1200人を死亡させた。そのうち1万人余の犠牲者の遺体を捨てた(埋めた)台吉南山に北票市日偽時期死難鉱工記念館が開設されている。

 さて、2017年8月25日に北票市日偽時期死難鉱工記念館を8年振りに再訪すると、中央広場にあった記念碑が撤去されていた。そして、その跡地に巨大な展示館(資料館)の建設が進められていて、建物の基本的な構造の骨格部分まで構築されていた。また、撤去された記念碑の代わりに建立される新たな巨大な記念碑の土台部分の基礎工事が別の場所で進められていた。
 それで、その時点では、諸般の理由により建設工事は中断されていたが、2年後には北票炭鉱万人坑の新記念館として竣工・開館する予定とのことだった。

 その北票市日偽時期死難鉱工記念館を、元館長の劉鵬遠さん夫妻の案内で2025年6月18日に再々訪した。そして、その時点でも、新しい記念館の建設工事は未完成だったが、新記念館竣工後の主要部分の全貌がほぼ分かるところまで建設工事は進行していた。遺骨(万人坑)の発掘現場は、阜新炭鉱万人坑の新しい記念館と同じように、それぞれがガラスの部屋で完全に密閉されて保護されることになるが、そのガラスの部屋は既に完成していた。
 ともあれ、建設工事に随分と時間がかかっているので一抹の心配は感じるが、劉鵬遠さんが「顧問」のような立場で全力で奮闘しているので、次に訪れるときには新記念館が完成していることを願っている。


 北票万人坑-人窖型屍骨房(じんこくがたしこつぼう)
 建物の正面になる入口部の構造は以前のままだが、外壁(壁面)が新しくなっている。また、以前は無かった車椅子用の通路が新設されている。

 北票万人坑-人窖型屍骨房(じんこくがたしこつぼう)
 以前からの建物の骨格がそのまま残された入口部(右側部分)の奥に続く、万人坑発掘現場を覆う建屋部分(左側部分)は建て直され、一回り大きなガラス張りの近代的な建屋に一新されている。

 人窖型屍骨房内のガラスの部屋
 人窖型屍骨房の建屋内に、万人坑発掘現場を完全に覆って密閉する一部がガラス張りの部屋が新設された。以前は、発掘現場のすぐ脇に立ち遺骨に手を触れることもできたが、これからは遺骨をガラス越しに見ることしかできなくなる。

 人窖型屍骨房内の発掘現場
 長大な2本の穴(溝)に大量の遺体を積み重ねて埋めた「人捨て場」が、解放後に発掘され公開されてきた。その発掘現場が、今回の改装で、このように一部がガラス張りの部屋の中に密閉され保存されることになる。

 人窖型屍骨房内の発掘現場
 前の写真と同じ発掘現場を横から見ている。強い陽光が差し込む中でガラス越しに写真を撮影しているので、陽光が反射し、カメラに疎い私には、前の写真と同様にこのようにしか撮影できなかった。

 北票万人坑-排列型屍骨房(はいれつがたしこつぼう)
 人窖型屍骨房から、正面に見える排列型屍骨房に至る経路に、屋根のある歩きやすい通路(渡り廊下)が新設されている。このような渡り廊下は以前は無かった。

 北票万人坑-排列型屍骨房(はいれつがたしこつぼう)
 以前の排列型屍骨房の建屋は、発掘現場を覆うだけの小さなこぢんまりした簡素な建屋だった。しかし、発掘現場を密閉するガラス張りの部屋を外側から包み込む構造になるので、かなり大きな建屋が新設された。ここは、その入口になる。

 排列型屍骨房の側面
 以前より大幅に拡張された全面ガラス張りの新しい建屋の中に、発掘現場を密閉して保護する一部がガラス張りの部屋が設置されることになった。

 排列型屍骨房内の発掘現場
 中国人同胞の手で、犠牲者の遺体が一体ずつ丁寧に埋葬された現場。強い陽光が差し込む中でガラス越しに写真を撮影しているので、人窖型屍骨房の場合と同様に光が反射し、このようにしか撮影できなかった。

 排列型屍骨房内の発掘現場
 中国人同胞の手で、犠牲者の遺体が一体ずつ丁寧に埋葬された現場。以前は、遺体(遺骨)の間に立ち入ることも可能だったが、新しい施設では、ガラス越しに眺めることしかできなくなる。

 遺骨保管室(安置室)
 すぐ近くにある自然の谷に捨てられ山積みになっていた遺体(遺骨)が、解放後(日本の敗戦後)に収集され、写真で左側に見える倉庫のような遺骨保管室などに保管(安置)されている。それで、この建物も一新されている。

 遺骨保管室(安置室)の中
 すぐ近くにある谷から解放後に収集された犠牲者の遺骨が遺骨保管室の中に山積みになっている。日本人の感覚だと、もう少し丁寧に安置できないのかと思うが、遺骨に対する考え方が中国人と日本人では少々異なるようだ。

 新しい展示館(資料館)
 排列型屍骨房の脇から、新たに建設されつつある巨大な展示館(資料館)が見える。以前の展示館(資料館)は、本当に小さいバラック小屋のような簡素な施設だったことを想うと隔世の感がある。

 新しい展示館(資料館)
 中央広場に建立されていた巨大な記念碑を撤去し、そこに新しい展示館(資料館)が建設されている。それで、建物の外観は完成にかなり近づいているように見えるが、内部は全く手が付けられていない状態だ。

 新しい記念碑の建設現場
 従来の記念碑が撤去され、新しい記念碑が別の場所に建設される。その記念碑の土台(基礎)部分が姿を見せているが、8年前の状態からあまり進展はないようだ。それにしても、この巨大な土台を見ると、とんでもなく巨大な記念碑になりそうだ。

 事務棟と工事用車両
 建設工事が進行中なので、通常であれば記念館には入場できないのだろう。しかし、元館長の劉鵬遠さんの「威力」で入場できたようだ。遺骨の写真撮影も最初は拒否されたが、参観の途中で撮影可能ということにしてもらうことができた。

 日本軍堡塁(トーチカ)
 北票市の市内と近郊に日本軍堡塁(トーチカ)が何カ所も残されている。新しく作られた施設の外壁の一部に組み入れられているこの堡塁も、その一つ。北票市内から北票万人坑に向かう途中で、日本警備係指令本部跡と併せて確認した。

 日本警備係指令本部跡
 「日本警卫系指令本部」と刻まれる石造りの銘板が建物の左脇に設置されている。この建物は、以前は一般の住居として利用されていて、建物の中に入ることができた。しかし今回は、住民が居住している様子はなく、庭の手前にある入口の門が閉鎖されていた。日本侵略時代の史跡として整備されることになるのだと思われる。




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